この国の体力を強くする、アルプロンの坂本です。
私は、かつて重度のヘビースモーカーでした。
もう時効として告白しますが、10代の頃からニコチン中毒になっていました。
中学3年生の頃、ヤンチャな同級生がタバコを吸っており、私も誘われました。
正直、最初は吸いたいなんて思っていませんでした。
ただ、「吸わないと仲間外れにされるのではないか」「いじめられるかもしれない」――そんな不安がありました。
最初は口でスパスパして吸い込まないようにしていたら、「それは“金魚”って言うんだよ」と笑われ、悔しさもあって無理に肺に入れてみました。
すると、気持ち悪くて吐きそうになりました。
「こんな有毒なものを、なぜみんな吸うのだろう」と思ったのを、今でも覚えています。
それでも当時は、大人の象徴のように“酒とタバコ”がありました。
早く一人前になりたい。そんな雰囲気に流されるようにして、タバコを吸うようになっていきました。
最初は“付き合い”の一本だったものが、気づけば“自分の意志”で買うようになり、いつしか依存が始まっていました。一日二箱は吸っていました。
「20歳になったらやめよう」と思い、やめられず。
サラリーマン時代は、休憩中に同僚と一服する時間が、なぜか癒しのように感じました。
「30歳になったら禁煙する」と口にしながら、宣言と挫折を何度も繰り返しました。
そのたびに「なんと自分は意思が弱いのだろう」と自己嫌悪に陥ったものです。
──そんな私を変えたのが、20年前に出会った一冊の本。
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『禁煙セラピー』(アレン・カー著)**でした。
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なぜ人は、百害あって一利なしのタバコを吸うのか
百害あって一利なし――そう言われるタバコ。
それでも、いまだに多くの人が吸い続けています。
しかも驚くべきことに、とても優秀で、経営でも人生でも成功されている方の中にも、ヘビースモーカーが少なくないということです。
なぜでしょうか。
私は、そこに「理屈ではなく、感情と習慣が支配する世界」があると感じます。
人は、ストレスや不安、孤独、緊張といった感情の中で“安心の儀式”を求めます。
タバコを吸うという行為は、その不安を一時的に紛らわせる“儀式”になっているのです。
つまり、タバコを吸いたいのではなく、安心したいのです。
また、タバコは「考える間」を与えるツールとしても機能します。
経営者やクリエイターが「タバコを吸う時間でアイデアが浮かぶ」と言うのは、
実はニコチンの力ではなく、思考を整理する“間”を作っているだけなのです。
しかし、アレン・カーは言います。
「タバコはストレスを解消しているようで、実はストレスを作り出している。」
ニコチンが切れることで不安が生まれ、
その不安をタバコで埋める――この繰り返しが依存です。
つまり、“安心”を与えているのはタバコではなく、錯覚なのです。
優秀な人ほど、責任が重く、緊張も多い。
だからこそ、一瞬の“逃げ場”としてタバコに救いを求めてしまう。
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「やめる」のではなく、「吸う必要がない」と気づく
この本の一番の衝撃は、「タバコをやめられないメカニズムを知る」ところにあります。
辞めるための我慢でも根性でもなく、考え方を変える。
認知的不協和で正当化しているが、実は「タバコを吸っても何も得ていない」という事に気づくこと。
タバコは、ストレスを減らしているようで、実は作り出している。
リラックスしているようで、ニコチン切れを埋めているだけ。
この“幻想”を知ったとき、心の霧が晴れたようでした。
アレン・カー氏の言葉の中で特に印象に残っているのは、
「一本でも吸えば、あの日の最初の一本に戻る」という教えです。
ニコチンは、吸った年月に比例して、切れたときの“欲求”を蘇らせる。
だからこそ、たとえ夢の中であっても吸いたくない――そう思えるようになりました。
実際、禁煙を始めた後、何度か夢でタバコを吸ってしまい、
夢の中で自分を責めて目覚めたこともありました。
それでも、現実では一度も吸っていません。
いまでは、喫煙所でタバコを吸う人を見ると、あの本に出会わなければ、自分もそこにいたのかな、、
「昔の自分、よく抜け出したな」と心の中で声をかけています。
私と同じように禁煙にチャレンジしている人の救いとなりますように。。
あと二回ほどコラムで追記します。
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